05


視界を遮られたことで尭黒から視線が外れ、昼の身体は脱力したようにその場で膝から崩れ落ちる。

「リクオくん!」

地面に倒れ込みそうになった昼を昌浩が慌てて抱き止め、膝を付く。

「…っ…はぁ…はぁ」

胸元を押さえ、荒い呼吸を吐き出す昼の顔色は真っ青で、それが強い妖気にあてられたせいだと昌浩直ぐに気付いた。
右手で印を刻み、昼の周囲にもう一重結界を張る。

「気休めにしかならないかもしれないけど」

結界の外では六合と紅蓮が妖と対峙している。
その様子を視界の端に映しながら昼は昌浩に向けて口を開く。

「はっ…は…っ、れは…尭黒」

「ギョウコク?さっきも言ってたね。アレを知ってるのか?」

結界の外で激しく炎が燃え、妖の奇声が耳を刺す。

「でも、…何で。…アレは夜が…斬った」

「斬った?退治したのか?」

要領を得ない昼の言葉に昌浩は真剣な表情で聞き返した。幾分か楽になった呼吸に昼は頷き返すと自力で身体を起こし、無意識に腰元に触れる。
そしてハッと目を見開く。

「―っ、無い。祢々切丸が…!」

今まで気にしていなかったがそういえば目を覚ました時には既に持っていなかった。
妖怪だけを斬る刀、祢々切丸。

「リク…っ、今度は何!?」

目を見開き固まった昼に再び話しかけようとした昌浩はゾクリと結界の外に生じた尭黒とは別の強烈な妖気に勢いよく背後を振り返る。

紅蓮の背の向こう、放たれた炎の先に尭黒、更にその先、闇の中でキラリと瞬いた鋭い小さな光が突如上から下へ斜めに走った。
瞬間、弦を弾いたようなピィンと高い音がその場にいた者達の耳を襲う。

「っ…何だ…」

「くっ――」

それは尭黒も例外では無く、暫し動きを止めた。
そして…光の走った尭黒の背後、闇に包まれていた空間が斜めに裂け、銀の光が射し込む。
同時にしゃりんと澄んだ刃の音が辺りに響き、周囲を取り巻いていた闇が光に屈伏されていく。

耳に馴染んだ刃の音に昼は弾かれた様に顔を上げ、尭黒の背後を凝視する。

やがて尭黒の展開した闇は薄れ、平素の町並みが視界に戻ってくる。雲によって陰った空。その隙間から零れた光が通りを照らし、昼達を囲んでいた妖は陽の光を嫌って素早く身を翻した。

“ッ…オノレ…次コソハ…必ズ、喰ラッテヤル”

陽の光に妖気を削られながらもぎょろぎょろとした目が昼を捉え、横に裂けた口が呪詛のように言葉を吐き出す。
その台詞に被さるように再び刃が鳴った。

「次なんざ…ねぇ!」

空から零れる光を弾いて尭黒の背へと鋭い刃が振り下ろされる。その動きにあわせ長い銀髪がふわりと靡き、乱入してきた者の相貌を露にする。

「っ、紅蓮、あの人…!」

切れ長の瞳は紅蓮と同じ色をしており、今は尭黒を鋭く射抜いている。
また、動きにあわせて流れる銀髪はきらきらと眩しく、雲間から姿を見せた太陽の光を弾いて輝いていた。

「俺の夢に出てきた…」

「なに?」

闇を切り裂き現れた見知らぬ者と妖の戦いから目を反らさぬまま紅蓮は昌浩の言葉に耳を傾ける。
その側へ銀槍を下ろした六合が歩み寄った。

乱入者に気を取られていた三人は震える唇が紡いだ名を耳にすることは無く。

「…よ…る」

振り下ろされた刃を間一髪で避けた尭黒は、刀を握る者を目にして忌々しげに呟いた。

“クッ、貴様…ドウヤッテ…。アチラへ、切リ離シテキタハズ…”

尚も構えを解かず、研ぎ澄ました刃を向けてくる者に尭黒は焦りを滲ませ高く跳躍すると横手にあった塀を軽々と越え、最後に捨て台詞を残して去る。

“次コソハ…、覚エテイロ…”

「誰が、昼には指一本触れさせやしねぇ」

尭黒の後を追う様にして鋭い声が投げつけられ、尭黒が立ち去った後、その場に残された者達の間にはピリピリとした空気が流れる。

「貴様、何者だ…?」

得体の知れぬ者に紅蓮と六合は警戒心も露にその者を睨み据え、昌浩は困惑した表情を浮かべる。
紅蓮の投げた鋭い誰何(すいか)にその者は身体ごと振り向き、刀を右手に持ったまま細めた金の双眸を同じ色を放つ瞳と絡めた。

「てめぇらこそ何者だ?」

紅蓮を射抜くように見据えた金の双眸が微かに揺らぎ、苦し気に眉がしかめられる。

「………」

その身から発される妖気の強さに紅蓮は身構えたものの、刀を手に立つ妖が放つ気は尭黒の様に澱んだ気とはまるで正反対で凛としていて冷涼。冴え渡る月夜の光の如く洗練されており、紅蓮は目の前の妖が敵かどうか判断に迷った。

そして、互いに問い掛けたものの答えは返らず、張り詰めた空気が最高潮に達しようとしたその時。

「リクオくん!?」

ふらりと立ち上がった昼が迷いなく足を前へ踏み出した。昌浩の張った結界を壊すことなく通り抜けたその姿に昌浩達は目を見張る。

「なっ…、結界を…!」

「っ、紅蓮!」

真っ直ぐ前を見据えたまま惹かれるようにふらふらと足を進めた昼の腕を昌浩に名を呼ばれた紅蓮が咄嗟に掴む。
腕を引かれた昼はゆるりと紅蓮を見上げ、僅かに遅れて昌浩にも肩を掴まれた。

「待って、リクオくん!助けてくれたとはいえまだ味方かどうか…」

迷いを捨てきれない昌浩の台詞にぴくりと肩を反応させ、昼は紅蓮から昌浩へ真っ直ぐな眼差しを向け言う。

「…敵、なんかじゃない」

「え?」

「アレを知っているのか?」

驚いた表情を浮かべた昌浩の代わりに、言葉を重ねるように紅蓮は訝しんだ声音で問うた。
皆の視線が妖から昼へと移ったそのほんの僅かな隙、前へと視線を戻した昼は顔色を変えた。

「っ、離して!」

それまで抵抗という抵抗を見せなかった昼が肩に置かれた手と腕を掴んでいた手を乱暴に振り払う。

「待て!」

「リクオく…!」

急な抵抗に手を離してしまった紅蓮と昌浩は駆け出した昼が崩れ落ちそうになった妖を抱き止めようとしているのを目にした。

「夜っ!」

地面に突き立てた刀で身体を支えようとした夜に昼は腕を回す。
近付いたことで夜の呼気が乱れ、顔色も悪いことに昼は気付いた。

「夜…」

「そんな泣きそうな顔…するな。俺は、平気だ」

そんなことよりお前が無事で良かった、と刀に右手を置いたまま左手で夜は昼をそっと抱き締める。
触れた箇所から伝わるぬくもりに昼はぎゅっと夜の背に回した腕に力をいれた。

「ばか…何でいつも僕のことばっか。自分の心配してよ」

「…それはしょうがねぇ。何よりお前が大事なんだ」

「夜…」

腕の中に戻ってきたぬくもりに安堵からか夜は乱れた呼吸の合間にほっと息を吐き出し、昼に支えられたまま地面に膝をつく。
その体勢で昼の背後にいた昌浩と紅蓮、六合を弱っても尚力を失わない鋭い金の双眸で見据えた。

そして片腕で昼を抱き締めながら地面に突き立てていた祢々切丸を引き抜き、油断無く構えて再び言葉を投げる。

「…てめぇらは何者だ?」

「俺達は…」

「妖に不用意に名を名乗るな」

夜の問いを受けて答えようとした昌浩を紅蓮が片腕を持ち上げ制す。
昌浩を守るように一歩前へ出て、紅蓮は夜とその腕の中にいる昼へ視線を滑らせて微かに眉を寄せた。

「それはこっちが訊きたいことだ。何故貴様がその子供の魄を纏っている?」

「えっ…じゃぁ…」

魄とは身体を司る気のことでいわば肉体、精神を司る気、魂だけになってしまった昼が捜していたものだ。
本来、魂と魄は一体でなければならない。

昼の捜し物が見つかったことに昌浩は表情を明るくさせたが、紅蓮の横顔は厳しいまま。次に発せられた言葉に昌浩ははっと目を見開く。

「その子供から魄を奪ったか」

「違う!夜は…っ、そうじゃない!」

しかし、紅蓮の言葉は昼によって即座に否定された。

「夜は、僕の……僕の大切な片割れだ」




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